通勤前のほぼ決まった時刻にゴミ捨てに行くのだが、ウォーキング帰りの70代くらいとおぼしき男性と、
犬の散歩をしている60代くらいの女性とほぼ毎朝すれ違うのが私の日常だ。
前者の男性は、毎回私から挨拶をするのだが、いつも伏し目がちに会釈されるだけであるのに対して、
後者の女性は、マスク越しにも毎回笑顔で私の目を見て気持ちの良い挨拶を返していただける。
あまりにも対照的すぎるので、ややしっくりとこない気分になってしまうものだ。
2016年11月4日付の神戸新聞夕刊の読者投稿記事がその当時に話題となったことをご存じだろうか。
~記事抜粋~
あるマンションの住民総会で小学生を持つ親御さんから
「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください。」
との提案事項があった。
それに対して年配の住民の方からは、
「あいさつをしてもあいさつが返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう。」
致し方なく、住民総会での決定事項の告知を余儀なくされ、
「世の中変わったな、理解に苦しんでいます。」
と投稿は締めくくられていた。
これは、地域コミュニティにおける関係性の希薄さという問題の側面が大きいと思われるし、
この少ない情報量で字面のみ捉えてこの親御さんの意図を十分に汲み取ることはなかなか難しい。
しかしながら個人的には何度読んでもあまり良い心地はしない。
極端な例として今回は新聞記事を抜粋させていただいたが、
冒頭でも述べたように、挨拶をしても返ってこないほど寂しいことはない。
職場における挨拶とは、円滑なコミュニケーションを図るうえで必要不可欠であり、
特別なビジネススキルが要求されるものでもない。
幼少期は大きな声で元気良くと教えられ、家の前の果物屋のおじさんに挨拶を褒められるのが嬉しかった。
それが学生時代には体育会系特有の縦社会に身を置くことで段々と義務化していき、いつしか形骸化していったものだ。
某企業でおなじみのキャッチフレーズ
「おはようからおやすみまで・・・」ではないが、今一度、自身の普段から挨拶を見直してみたいと思う。