我が家は共働きである関係上、妻の仕事の具合により私が先に帰宅する日がある。
つい先日のことなのだが、私が妻よりも先に帰宅したところ、
子ども達も夏休みということもあり、リビングでのんびりとくつろいでいた。
しかし、もう日が暮れて随分と経つにもかかわらず洗濯物は外に干しっぱなし。
キッチンに目を向ければ、お昼に食べたであろう皿は洗うこともなくそのまま置きっぱなしの状態。
イラッとした私は、兄妹に対して強めに叱責し、「べき論」を長々と語ってしまった。
その後、子ども達は不服そうに、兄は洗濯物を取りにいき、妹はキッチンの皿を洗い始めた。
それから数日後に、私と妻がたまたまほぼ同時刻に帰宅する日があったのだが、
先日私が子どもたちを叱責した時と全く同じシチュエーションであった。
しかし、妻の子どもたちへの声掛けは私と大きく違っていた。
「ごめん、□□(兄)、洗濯物入れてくれたら嬉しい。〇〇(妹)はお皿洗ってくれたら助かる。
それとお風呂もお願いできる?」と子ども達に話しかけた。
言うまでもないのかもしれないが、子ども達の反応は、私に対する態度とは明らかに違い、快く受け入れているように思えた。
家族という事を差し引いても、私の子ども達に対する態度は、恥ずべき態度であったと大いに反省したところである。
要は、私の子どもたちに対する一連の対応は、アサーティブさが完全に欠けていたという他ならない。
人間は感情の動物である。
能動的に相手に動いてもらうためには、それがいくら気心しれた相手であろうとも、
敬意や配慮がないと気持ち良くは受け入れられるはずはない。
親子関係、上司と部下、先生と生徒、先輩と後輩など様々な人間の相関関係がこの世の中には存在するわけだが、
近しい間柄であるからこそアサーティブなコミュニケーションがより重要となり求められるのである。
前述にあるような私の子に対する稚拙な対応などは是非とも反面教師にしてもらいたい。
未だ終息しないコロナ禍におけるウクライナ危機の勃発など、
鬱屈とした虚無感や孤独感、また喪失感などとネガティブな感情を抱かない方が難しいこの現実である。
人と人との関わりが希薄になりつつあるこの現実がまだ続くようであれば、
対人折衝による気づきの機会が失われてしまうこともまた身近で大きな問題なのかもしれない。